自分を育てるためのブログ

自分自身が後で読み返して価値を感じられるような内容を目指します

民主主義を支える「自分軸」という基礎装備

 

民主主義を支える「自分軸」という基礎装備

「自分軸」という言葉が、最近よく聞かれるようになりました。人に振り回されず、自分の信じる道を歩む――そんな生き方に憧れを抱く人も多いことでしょう。けれど私は、この「自分軸」という言葉に、ある違和感を抱いています。

それは、多くの場合、「自分軸」が個人の幸せや自己肯定感のためだけに語られていること。そして、その背後にある“どんな社会を目指すのか”という視点が抜け落ちていることです。

他人優先という美徳と、自己中の烙印

今の日本社会では、「他人を優先する」ことが美徳とされ、「自己主張」や「自分の意見を持つこと」が、時に“自己中”というラベルで非難される風潮があります。

けれどその「自己中」という評価は、どんな社会構造の中で下されているのでしょうか? それは、「他人を優先することが正しい」という、暗黙の前提に基づいています。つまり、他人を思いやる行為そのものが善悪を決めているのではなく、「他人優先を是とする社会」という構造が、行為にラベルを貼っているのです。

この前提を問い直さない限り、「自分軸」はいつまでたっても“わがまま”や“自己中心的”と見なされ続けるでしょう。

自分軸とは何か――未来像からの逆算

そもそも、「自分軸」とは何でしょうか?

それは単なる自己満足や自己解放ではなく、「どんな社会を目指したいのか」という未来像を起点とし、そこから逆算して今の行動を選び取る姿勢ではないでしょうか。

木の枝を見て「この枝が長い」「この枝は短い」と評価するだけでは、その木がどんな未来の姿を描いていくかは分かりません。本当に大切なのは、その枝がどこへ伸びていくのかを見通すこと。つまり、未来を語る言葉を持つことが必要なのです。

私には「民主主義の実現」という未来像があります。そして、その実現に必要な要素のひとつが、「自分軸」を持った個人の存在です。

自分軸は、民主主義社会の“市民性”である

民主主義とは、多様な意見が対等にぶつかり合い、対話を通じて社会をつくり上げていくシステムです。そこに必要なのは、「自分の意見を持ち、それを言葉にできる人たち」です。つまり、自分軸を持った個人こそが、民主主義を支える“市民”なのです。

自分軸は、わがままや自己中ではありません。それは、「私はこう考える」「私はこうしたい」という意思を社会の中で示し、他者と対話するための起点です。公共圏に参加するための基礎装備――それが自分軸なのです。

わたしから、わたしたちへ

私たちが目指すべきは、「わたし」の自由を守りながら、「わたしたち」の関係を育てていく社会です。

そのためには、まず「わたし」が必要です。自分の軸を持つこと、自分の考えを語ること、自分の未来像を描くこと。それができてはじめて、「わたしたち」の対話が成り立つのです。

自分軸とは、個人の幸せのためだけのものではありません。民主主義という未来を支える、大切な一歩なのです。