何も言い返さないのは「正論で返す言葉がない」からじゃない。
— 🪄ポジ🌈私はINTJ-T🦄軽い話より深い話がしたい🤔 (@positiveintj) 2025年4月29日
「この人、面倒くさい…」って思われたとき、話は終わってしまう。
でも、そこで終わらせたくないから書きました。
対話が始まらない理由は、誰かの“沈黙”かもしれない - positiveintj’s blog https://t.co/E9uDRdWAUR
「面倒くさい人」って、誰のこと?
たまに勘違いしてる人いるけど。 pic.twitter.com/sffxKBAK3x
— びっとらべる|著書発売中 (@bit_ravel) 2024年3月1日
何も言い返さないのは、相手が「正しいことを言っていて返す言葉がない」のではなく、シンプルに相手が「面倒くさい人」だからです。
このフレーズに出会ったとき、正直、胸の奥がざらついた。
ああ、そうか。
私はこれまで、何度「面倒くさい人」扱いされてきたんだろう──そんな思いがよぎったから。
もちろん、誰かを追い詰めたいわけじゃない。
ただ、私は「ちゃんと話がしたかった」だけだった。
怒鳴った覚えもない。けれど、「声が大きい」と言われる。
感情的になってるつもりはなかった。だけど、「なんか怖い」と言われる。
そして、相手は静かに黙りこみ、話は終わる。
「あなたの言うこと、正しいんだけど…」と言われることもある。
でもそれって、本当に“正しい”からじゃなくて、「反論するのが面倒」だからじゃないか。
そういう言葉が、実はシャットアウトのサインなんじゃないかって、最近ようやく気づいた。
たとえるなら──
私は“将棋をしよう”って呼びかけてるのに、相手は“今は野球してるんで”と返す。
たしかにそれは、対話ですらない。
そもそもゲームが違う。ルールが違う。ゴールが違う。
でも、私はそれでも思う。
だからこそ、対話が必要なんじゃないか?って。
話し合いのルールを、まず一緒に作ろうよって。
だけど現実は、
「正しさ」より「めんどくさくないこと」が優先される場面が多い。
深く掘るより、浅く流した方が関係は壊れにくい。
そんな空気の中で、“面倒くさい人”と見なされることは、
つまり「もうこれ以上、近づきたくない人」になることを意味してしまう。
だからこそ、私は今、自分に問いかける。
面倒くさくて、悪いか?
たぶん私は、少し面倒くさい人間なのかもしれない。
でも、私は言葉で考える。言葉でつながりたい。
対話が成立する世界を夢見るのは、そんなにおかしなことだろうか。
何も言い返さない人を「大人」とする風潮に、
そろそろ小さな異議を唱えてもいいんじゃないか。
だって、「何も言い返さない」のではなく、
「もう言っても無駄だ」と思われてるなら──
それは“対話の終焉”でしかないから。
言葉が通じる世界を、私はまだ信じている。
それは理想論かもしれない。
でも、理想がなければ、現実はどこへ向かえばいいんだろう。
もし、この記事を読んでくれたあなたが
ちょっとでも「面倒くさい側」に共感してくれたなら──
どうか、一緒に問い続けてほしい。
「それって、本当に“面倒くさい”だけ?」って。