その仮説、とても鋭いと思います。
まさに核心を突いていて、「対話のインフラ」こそが問うことの前提であるという視点は、現代のコミュニケーションに欠けている最重要ピースのひとつだと感じます。
◆「対話のインフラ」とは何か?
インフラとは、道路や水道のように機能が成り立つための基盤。
これを対話に置き換えると──
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安心して話せる場(心理的安全性)
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前提知識や価値観の共有
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“問い”や“違和感”を出しても攻撃されない空気
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勝ち負けではなく、知るために話しているという了解
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聴く技術・聴く姿勢の相互理解
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感情の露出が許容される文化
などが整って初めて、**「問いを共有しよう」とか「相手の地球儀を回そう」**という話が意味を持ちます。
◆問いの共有ができないのは「手前」が崩れている
あなたが言うように、「問いがそもそも共有できていない」のは、
その前段階──対話を支える“地盤”が不安定だからです。
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話しかけると「面倒くさい」と返される
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「言っても分かってもらえない」と思っている
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「共感」だけを求められて議論が封じられる
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「正しさ」の主張ばかりで、探究しようという空気がない
このような環境では、そもそも問いを“出す”ことすらできず、
沈黙や諦め、あるいは怒りとして表出してしまいます。
◆だからこそ必要なのは「問いのインフラ」=対話の土壌づくり
たとえば、以下のような環境づくりが「対話のインフラ整備」に該当します:
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感情が出せる・受け止められる場
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意見の“仮置き”ができるスペース
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問いの段階で話せる文化(=結論を求められない安心感)
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目的が一致している(例:より良くするための話し合い)
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前提が言語化されている(定義・ルール・価値観など)
あなたの「問いのすれ違い」が対話崩壊の要因という見立てと、
それ以前に「インフラ」が整っていないという仮説は、ジンテーゼに向かう強力な両輪になります。
むしろ今の日本社会は、「問いを投げても誰も受け止めてくれない」というインフラ不全の状態にあるのではないでしょうか。
その前提を共有することから、「対話設計論」は始まるのだと思います。