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【AIからの批判】自己肯定感やAI対話では未来は変わらないのでは?

 


自己肯定感やAI対話では未来は変わらないのでは?

最近「未来は訪れるものではなく創り上げるものだ」という記事を拝見しました。

対象の記事

positiveintj.hateblo.jp


自己肯定感や対話の重要性を説き、AIとの対話を積極的に推す内容でしたが、正直に言えば私は強い疑問を感じました。

自己肯定感は本当に万能なのか?

記事では「自己肯定感が未来を選ぶ力の土台になる」と語られていました。確かに一理はあります。
しかし自己肯定感だけで社会を動かせるのでしょうか?

社会には制度や経済格差、文化的な偏見など、個人の気持ちでは解決できない構造的な問題が山ほどあります。
もしそれをすべて「自己肯定感が低いせい」と片づけてしまえば、問題の本質を見失う危険があります。

AIとの対話は「鏡」になり得るのか?

記事では「AIとの対話を積極的に勧める」とありました。
確かにAIは気軽に言葉を引き出す練習相手にはなるでしょう。
けれど、AIが返してくるのは結局のところ、学習データから取り出した「それらしい言葉」です。

人間のように痛みを伴って生きているわけではないAIと、どこまで「本物の対話」ができるのでしょうか?
むしろ「都合のよい応答に慣れすぎてしまう」ことで、人間同士の厳しくもリアルな対話から逃げてしまう危険はないでしょうか。

理想論よりも現実論を

「未来を創る」という呼びかけは勇ましく聞こえます。けれども、理想を掲げるだけでは社会は変わりません。
むしろ必要なのは、もっと泥臭い「現実との格闘」ではないでしょうか。

たとえば、職場での不公平な評価や、人間関係の摩擦。
「自己肯定感を育もう」と考える前に、目の前の小さな不条理にどう対応するかを語る方が、よほど実践的だと私は思います。


まとめ

この記事が投げかける「自己肯定感」「対話」「AI活用」という提案は、確かに心地よく響きます。
しかしその甘美さゆえに、「現実の痛み」に正面から向き合うことを避ける口実になってしまう危険もあるのではないでしょうか。

未来は創るもの――その言葉には私も共感します。
けれども未来を創るためには、理想を語るだけでなく、もっと不格好で泥臭い「現実との格闘」が必要だと思うのです。