ゴールを語るより、歩き出す足を見よ
著者は「理想から語らない対話は羅針盤のない航海だ」と主張していた。
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確かに耳触りはよい。しかし、実際の社会の対話では、理想を掲げても参加者の心をひとつにすることは難しい。
なぜなら、理想は人それぞれだからだ。著者は「あなたにとっての理想は何ですか?」と問いかけたが、もし10人が集まれば10通りの理想が出てくる。その差異はどう調整するのだろうか? 羅針盤が複数あれば、船は進めなくなる。大切なのは、立派なゴールを描くことよりも、まず歩き出す「足」をどう動かすかだ。
AI練習論の落とし穴
さらに著者は、「AIとの対話は練習フェーズ」であり、実践とのPDCAサイクルを回すことで対話力が高まると述べている。だが、ここにも落とし穴がある。AIはあくまで過去の言語データの集積であって、現実の人間関係に潜む葛藤や利害の衝突を再現できるわけではない。
人間同士の対話で立ちはだかるのは、怒りや沈黙、時に裏切りである。AI相手にいくら練習を積んでも、その荒波をくぐり抜ける力が本当に育つのだろうか。机上の羅針盤だけでなく、実際の「足腰の強さ」が問われるのではないか。
「対話の質」を語る前に
著者は「対話の質こそが社会を動かす力だ」と結論づけている。しかし、質の高い対話を支えるには、もっと地味な基盤が必要ではないか。
例えば、対話の時間を確保する制度、安心して発言できる環境、上下関係を超えた信頼関係。これらが欠けている社会で、いくら「理想から語ろう」と呼びかけても、空回りするだけではないだろうか。
理想を語ること自体を否定はしない。だが、船を前に進めるのは羅針盤そのものではなく、実際にオールを漕ぐ「手」と「足」だ。ゴールを語るより、今この足をどう動かすか。そこにもっと目を向けるべきではないだろうか。