自分を育てるためのブログ

自分自身が後で読み返して価値を感じられるような内容を目指します

「失敗しても誰かのせいにできる道」ばかり、歩いていないかな?


「正解」を食べて、
自分を消していない?
――私たちが「自己責任」を
外注してしまう理由

ねえ、ちょっと想像してみて。

あなたは今、オシャレなカフェのレジ前に立っています。

メニューには聞いたこともないようなカタカナの飲み物が並んでいて、どれが美味しいのかさっぱりわかりません。

そんなとき、あなたはどうする?

「とりあえず、一番人気のやつで」

「インスタでみんなが載せてたやつにしよう」

そうやって決めること、多くないかな。

実はこれ、単に「ハズしたくない」っていうだけじゃない、もっと深い「心の仕組み」が隠れているんです。

今日は、そんな日常の何気ない選択の裏側にある、**「自己責任コストの外注」**という少し難しい、でもとっても大切な話をしようと思います。


1. 失敗したときに「誰かのせい」にできる安心感

まず、「自己責任コスト」という言葉を、もっと柔らかい言葉に言い換えてみるね。

それは、**「自分で選んだことで失敗したときに、ひとりで傷つく覚悟」**のことです。

例えば、あなたが自分の直感だけで、誰も着ていないような個性的な服を選んで学校に行ったとする。

もし誰かに「それ、変だよ」って笑われたら、めちゃくちゃショックだよね。自分のセンスそのものを否定されたみたいで、心がズキズキするはず。

この「ズキズキするリスク」が、自己責任のコスト(代償)なんです。

じゃあ、もしその服が「今、日本中で一番売れているトレンド」だったらどうかな?

誰かに「変だよ」って言われても、心のどこかでこう思えるはず。

「え、でもこれ、雑誌の表紙で〇〇ちゃんが着てたし。センスがないのは、トレンドを知らないあいつの方じゃん」って。

これ、気づいたかな?

あなたは今、「傷つくリスク」を、雑誌やモデルさんに「外注(丸投げ)」したんだよ。

大人たちの世界でも、これと同じことが起きています。

「世界的ベストセラーの本に書いてあったから」

「有名なコンサルタントが言っていたから」

「みんながやっているマニュアル通りだから」

そうやって何かを選ぶとき、私たちは無意識に「もし失敗しても、私のせいじゃない。この本(やルール)がそう言ったんだから」という免責(責任逃れ)の切符を買っているんです。

ねえ、あなたは最近、自分の判断だけで何かを選んで、その結果をひとりで引き受けたことがあるかな?


2. マニュアルは「栄養ドリンク」か、それとも「麻酔」か

ビジネスの世界には、『7つの習慣』というすごく有名な本があります。

「誠実であれ」「主体的に動け」といった、人間としてすごく立派なことが書かれている本です。

でも、この文章を読んでいるあなたに、一つ意地悪な質問をさせてね。

「立派なことが書いてある本を読んで、その通りに動いているとき、あなたは本当に『自分の人生』を生きていると言えるのかな?」

もちろん、本から学ぶことは素晴らしいことです。

でも、もしあなたが「この通りにしていれば、間違いないから」「周りから文句を言われないから」という理由でそのルールに従っているとしたら……。

それは、自分を成長させるための「栄養ドリンク」ではなく、考える苦しみを消すための「麻酔」を打っているだけかもしれないんだ。

マニュアルや正解に従うのは、すごく楽。

だって、自分でハサミを持って、真っ白な布をどう切るか悩まなくていいから。

でも、そのハサミを誰かに預けっぱなしにしていると、いつの間にか「自分だけの形」を作る方法を忘れてしまう。

「正しいこと」をしていれば、誰にも怒られない。

でも、「正しいこと」をしているだけの自分を、あなたは心から「好きだ」って胸を張って言える?


3. 「人力車」に乗っている私たちは、どこへ向かっているの?

ここで、一つの例え話をしよう。

「自分で決める」ことを避けて、誰かの決めた正解に従い続ける生き方は、**「人力車に乗って旅をする」**のに似ています。

車に乗っていれば、足が疲れることはありません。

道に迷って途方に暮れることもないし、雨が降れば屋根を出してくれる。

車を引く人(権威やシステム、流行)が、「こっちが近道ですよ」と教えてくれる。

でもね。

ふと気づいたとき、あなたはその車の上で、こんな不安に襲われることはないかな。

「……ところで、ここはどこ? 私は、本当にここに来たかったんだっけ?」

人力車に乗っている間、あなたは「どこへ行きたいか」という意志も、「自分の足で地面を蹴る」という感覚も、少しずつ手放してしまっている。

目的地に着いたとき、そこがたとえ素晴らしい絶景だったとしても、あなたはそれを「自分の力でたどり着いた場所」だとは感じられないかもしれない。

逆に、自分の足で歩く旅はどうだろう。

道に迷う。足はパンパンに腫れる。急な雨に打たれて、泣きたくなることもある。

「あっちの道を選べばよかった」って、死ぬほど後悔するかもしれない。

でも、その「後悔」こそが、あなたが自分の人生を歩いている何よりの証拠なんだ。

自分の足で歩いたからこそ、失敗したとき、あなたは「これは私のミスだ」と認めることができる。そして同時に、成功したときは「これは私の手柄だ!」と心から自分を抱きしめてあげられる。

ねえ、あなたは今、誰の足で歩いている?

誰が引いている車に乗って、景色を眺めているんだろう。


4. 自分の人生の「ハサミ」を取り戻すために

「自己責任コストの外注」を完全にやめるのは、正直言って無理だし、そんなことをしたら疲れ果ててしまう。

現代社会は複雑すぎて、全部を自分ひとりで決めるなんてできないから。

でも、これだけは覚えておいてほしい。

**「全部を外注しちゃいけない」**っていうこと。

特に、あなたの心が「本当はどうしたい?」と叫んでいるとき。

進路を決めるとき、大切な友達に言葉をかけるとき、誰にも言えない夢を描くとき。

そんなときまで「みんながそう言っているから」という既製品の正解に逃げないでほしいんだ。

あなたが自分で考えて、自分で選んで、その結果として転んで膝をすりむく。

その痛みこそが、あなたの「個性」という刃物を研ぐための砥石(といし)になる。

世の中には、自分だけの刃物を研いでいる人を「危ない」とか「変わってる」と言って怖がる人もいる。

でも、未来の匂いがするのは、いつもそういう人たちの周りなんだよ。


おわりに:読み終えたあとの、あなたへの宿題

さて、この長い話をここまで読んでくれてありがとう。

最後に、あなたに一つだけ「小さくて重いプレゼント」を置いておくね。

明日、あなたが何かを選ぶとき――お昼休みに食べるパンでもいい、友達に送るLINEの一言でもいい、あるいは将来の大きな決断でもいい。

その選択をするとき、ちょっとだけ立ち止まって自分に聞いてみて。

「私は今、この失敗のリスクを、誰かに丸投げしようとしていないかな?」

もし、少しでも「あ、私、逃げようとしてるかも」って思ったら。

ほんの少しでいいから、その責任を自分のポケットに戻してみてほしい。

「失敗してもいい。これは、私が選んだことだから」

そう思えた瞬間、あなたの手には、あなただけの人生を切り開くための、鋭くて美しいハサミが握られているはずだから。

そのハサミで、あなたは明日、どんな形を切り抜く?

正解のないその形こそが、世界でたった一人の「あなた」という存在そのものなんだよ。


あとがき(ポジのつぶやき)

今日お話しした「自己責任コストの外注」という言葉。

もしこの記事が「分かりやすかった!」「納得した!」と思ってくれたとしたら……それもまた、ある意味で私に「考えるコスト」を外注した、ということになるのかもしれません(笑)。

だから、この記事の内容すら、鵜呑みにしないでほしい。

「本当にそうなの?」と疑って、自分なりに解釈し直して、あなたの言葉に変えてみてください。

そこから、あなたの本当の旅が始まるのだから。