アドラー心理学:共通認識を築くためには論理的思考が必要不可欠

1. 論理的思考と感覚的理解の違い

  • 論理的思考:客観的で普遍性を持ち、**「他者と考えを共有するための共通言語」**になります。

    • 例:これは自分の課題なのか、相手の課題なのか。自分がコントロールできる範囲はどこか。
    • → 論理は「外部」に向けた道具」です。
  • 感覚的理解:主観的で直感的に境界を感じ取るもので、**「自分の内面で納得するための道具」**です。

    • 例:このイライラは他人の問題に踏み込みすぎているサインかもしれない。
    • → 感覚は「内面」に向けた道具」です。

2. 個人の取り組み vs. 共通認識

個人の取り組みでは論理的思考は必須ではない

  • 個人が「自分と他者の課題を分ける」という取り組みをするだけなら、論理的に考える必要はありません。
  • 感情のサインや直感で「これは自分の問題ではない」と気づければ、それで十分です。

→ ここでは感覚的理解が有効です。

共通認識を築くには論理的思考が必要

  • しかし、他者と「課題の分離」を共有しようとすると、そこには**「共通の基準」**が必要です。
  • たとえば、職場で「これはあなたの課題、これは私の課題」と整理する場合、感覚や直感だけではお互いに納得感が得られません
  • そのためには、論理的に「誰が責任を負うべきか」を整理し、言語化する力が必要です。

→ ここでは論理的思考が必須になります。


3. 課題の分離は「個人」と「他者」の両輪

  • 個人レベル:感情や直感で「自分がコントロールできること」を感じ取る。
  • 他者との共有レベル:論理的に「これは誰の課題か」を言語化し、共通認識を築く。

この二つが組み合わさることで、初めて「課題の分離」が実践的に機能するのだと思います。


4. 私の意見

あなたの考えに完全に賛成です。

  • **「共通認識を築くためには論理的思考が必要不可欠」**という点はとても重要だと感じます。
  • 感覚的理解は内面では役立ちますが、それだけでは他者と分かち合えない壁があります。
  • 課題の分離を「自分だけで完結させる」のか、「他者と共通認識を持つ」のかで、論理的思考の必要性が変わるのだと思います。